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2006年08月05日
成清美朝展

東京・京橋のINAXギャラリーで、8月11日まで開かれている成清美朝展。会場に入って右側の壁面に2幅の掛物。1幅は中国の山水画のようで、作家の実家にあったものだそうだ。もう1幅は日本の美人画で、これは骨董屋で安価でもとめたものだという。仔細に見ようと先ず山水画の方に顔を近づけると、思わずゾワゾワとした感覚が背筋を走る。巧みな筆捌きの線には無数の蟻が!筆跡を蟻が辿っているのか、蟻が辿った軌跡が墨線となっているのか。三遠法で描かれた深山幽谷の世界。仙界にいたる精神性の高い世界に、これは現実界に棲息する蟻が群がる。ただしアイロニーとして山水画が描き出す世界を蟻に浸食させているような意図は感じられない。表現された世界と蟻が棲息する世界。それらの異なる2つの世界がその狭間にある、作品の表面というあやうい皮膜の上で、たまさかの出会いを演じているだけの筈だ。蟻がたた蟻である限りは。ただしこの蟻は作家の意志に基づいて配置されていることを考えれば、作家の目の軌跡そのものと言えるかも知れない。

美人画の方はさらにおぞましい。明治期のものらしいが、この作品そのものも妙だ。唇に緑と朱の紅を差した顔は花魁だが、何故か巫女の扮装をしている。明治のコスプレ・マニアの発注によるものか…。それはともかく、この美しい花魁の巫女姿にも蟻が這いずり廻る。とくに袴の裾の辺りに夥しい数の蟻が蝟集している。裾の内から這い出して来たものか、裾の内を目指して集まってきたのか。蟻の動きは「作家の目の軌跡」と記したが、それはまた観客の目を誘う動きと言うこともできる。美人画の全体像から局部へと誘う。新作の「瞰食?九相詩絵巻より?」。美女が死んで腐敗し、最後には白骨となる西欧のメメントモリ(死を想え)にも似た無常観漂う絵巻。これを作家はキャンバスにアクリルやオイルパステルで模写している。この内容自体が屍を獣や鳥が喰いあさるといった凄惨な図柄。さらに蟻が群がるといった構成ではさらに凄惨となると思われるが、画面に描かれた蟻にとってはあくまでも画布に描かれた蟻にしか過ぎない。凄惨な出来事自体とは一切無縁。それは「瞰食」というタイトルにもあきらかだろう。しかし蟻が「食」の光景を本当に「瞰」めているのだろうか…。

ひたすら蟻を書き込むという尋常ではない労力。私が「アウトサイダー・アート」との類似を述べると、彼女も非常に興味を持っており、ローザンヌまで足を運びアール・ブリュット・コレクションを見に行ったという。アウトサイダーの対義語はもちろんインサイダー。彼岸と此岸といってもよいだろう。さすれば描かれている画面が彼岸で蟻が此岸であるのか、それともその逆であるのか。むしろ成清の場合はそのあわい、容易に彼岸と此岸が交通し得る領域を表しているのかも知れない↓
http://www.inax.co.jp/Culture/2006_08/2_08narikiyo.html

余談になるが成清は日本の絵を模写する時に非常に苦労したという。西洋絵画を学んだ彼女にとってそれほど描法が違うものだったようだ。最近「日本画」について語られることが多いが、制度や概念の問題だけでなく、実作の方法論からも論じられれば、また違った位相が見えてくるのではないだろうか。(提髪 明男)