2006年09月03日
山下菊二展
夏恒例の展覧会といえば、東京・日本橋の日本画廊で開催される「山下菊二展」。今年も9月15日(金)まで開かれている。いつから毎年夏に開かれるようになったのか、筆者がいつから訪れるようになったかは定かではないが、年ごとに趣向が変えられ、小品であったり版画のシリーズであったりもする。今年はオーソドックスに1951年から1973年までの油彩画8点。オーソドックスとはいっても「あけぼの村物語」や「生活戦線」など彼の代表作が含まれているので見応えは十分だ。森美術館「東京?ベルリン展」にも出品された「あけぼの村物語」など、美術館で陳列される場合が多い代表作は比較的距離を置いての鑑賞となるが、画廊で間近に見ると新たな発見や違った感慨を得ることができる。しかも夫人が在廊されているので、作品についての疑問などを伺えるのも嬉しい。
今回新しく知ったのは、様々な物語が錯綜し、晦渋ともいわれる「あけぼの村物語」。実は紙芝居にする予定だったということ。本来ならば別々の画にして時系列的に見せるところを1つの画面に収めてしまった。それで極めて複雑な内容のものとなってしまったらしい。また犬や魚の目がみんな斜視気味になっている。それはこの村が隔絶された小さな村だったために近親婚が続き、村民の多くに斜視が見られ、それを動物の目に置き換えたのだそうだ。「生活戦線」には上下左右そして、画面を分割するように中央にも黒い木枠が付けられている。不審に思って夫人に訊ねると、木枠ではなく元々は山下家の板戸だそうだ。確かに車を取り付けた跡が下の枠に付いている。もちろん作品を板戸にしたのではなく、板戸に直に絵を描いたのである。
さて、山下菊二の絵を「今」見ることに、どのような意味があるのだろう。確かに作品としての強度は高く、その不穏な世界に見る者を導く力は強い。しかしシュール・リアリズムの手法を借りながらも幻想や装飾的美学には向かわず、時代と対峙する表現手段として用いている。つまりは山下の絵はルポルタージュ絵画でもあるのだから、個々の作品のコンテクストを参照しながらではなければ、彼の作品世界に到達したとは言えない。例えば当時の歴史を繙かなければ、「あけぼの村」で起きていた「物語」の舞台を想定できるだろうか。敗戦直後の日本の姿を知らずして、「生活戦線」に登場する手鉤の付いた義手でサングラスをかけた男が誰だか分かるだろうか。短絡的に見れば一種の「奇想の系譜」に位置づけられてしまう可能性もある。現にそうした括りで理解する若い人もいることをブログで見かけた。だが、それも「作品」としての命脈を保っている証であるのかも知れない。(提髪 明男)
※ 日本画廊はHPを持たないのでTELのみ。03?3272?0011