complex
mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
archiveart scenepress reviewart reviewessaygenbaken reporttop

執筆者(50音順)

足立元
浦野依奴
大村益三
北澤憲昭
暮沢剛巳
提髪明男
中島水緒
西村智弘
福住廉
水野亮
森啓輔


art review 最新版

山本直彰《帰還 VII――我々は何処へ行くのか》
2010/3/30

羽山まり子「keep distance」
2009/9/4

「にんげんていいな」展
2009/7/24

倉重光則展
2009/6/3

どこかの何とか展
2009/4/22

「伊藤純代 秘め事」展
2009/4/16

吉川陽一郎展
2009/2/21

安 美子展
2009/2/10


art review 一覧

2006年09月20日
福田尚代展

福田尚代はこれまで、文庫本を使ったインスタレーションや回文をまとめた作品集を発表してきた。ギャラリー覚での展示は、2002年からほぼ定期的に行われている。

画廊に入ってまず目にとまるのが、一般家庭にあるような小さな箪笥二台と、子ども用の椅子である。どちらも福田が幼少時に使っていた家具で、子ども向けのファンシーなデザインと年季の入った外見がノスタルジックな気分を誘う。家具をそのまま画廊内に持ち込んだだけの展示かと思いきや、箪笥の上には「二番目の引き出し」と印刷された紙片が置いてある。引き出しを開けろという指示なのか、開けてもよいという許可なのか。控え目なメッセージに戸惑いつつ引き出しを開けると、その中には、いったん溶かした緑色の蜜蝋粘土が山型に盛り上げられ、オブジェのように固められている。秘められた空間に積もったイメージの山、という風情で、蝋ならではのくぐもった色彩が幻想的だ。

また、一方の箪笥の上には、紫色のスケッチブックが一冊置かれている。使い込まれたヴェルヴェット仕様の表紙からして、おそらく作家の私物だろう。頁をめくってみると、回文のアイデアや過去の展示風景の構想図、買い物のメモ、謎めいた図形など、日常のこまごまとした覚え書きやスケッチがとりとめもなく綴られている。なかには、作家の身に降りかかった深刻な事態についてのメモまである。あまりにも生のままで加工のない体裁に、作家のプライベートを覗き見てしまったような居心地の悪さを感じるのだが、同時に、作家とともに過去の記憶を振り返るようそっと促されているような気分にもなる。
引き出しに詰め込んだ蜜蝋粘土の作品は、「もの凄く恥ずかしかったので数年間隠されていた」ものらしい。なぜ今になって「隠されていた」作品が日の目を見ることになったのか。また、作家の覚え書きのスケッチブックは、本来なら人目に触れないよう仕舞っておかれるか、資料として眺められるものであって、これだけで作品とは呼び難いように思える。
展示全体が作家の個人的なアーカイブのような趣きもあり、極めて内省的な印象を受けるが、気をつけなければならないのは、この個展が単なる私小説的な表現とは一線を画しているということだ。

なかでも異色に感じられたのが、少女漫画の一頁を切り取って額装した作品である。登場人物の少女の時代錯誤な描写からして、2、30年ほど前の古い漫画らしい。激しく荒れた天候の中、一人で雨の方向に呼びかける少女。なにか打ちひしがれた様子である。前後の文脈を欠いているので誰に呼びかけているのかは分からないが、最後のコマは、少女の「軽蔑しないで」という台詞をのせた吹きだしだけで締められている。
文庫本の一頁一頁を折り込み画廊の床に衝立状に並べた過去のインスタレーションと違って、ここには福田の手がほとんど加えられていない。なまじ額装されているだけに、福田の所作がすっかり排除されているように見える。漫画を切り取っただけの作品にオリジナリティーを見出せず、戸惑う鑑賞者もいるかもしれない。しかし、透けて見えるページの裏面の絵を二重像のように読み取り、切り取られた一場面をひとつのコラージュとして感受するならば、不思議とコマの中のセリフが純粋な「声」に還元されて響き渡るのが聞こえてくることだろう。福田は、「私」という自我の表出を極小にまで抑え、霊媒師の役割に徹することで、漫画に潜む詩の力を引き出しているのだ。

日常的な覚え書きや過去の記憶への沈滞、少女漫画への超個人的な共鳴など、これらはいずれも「作品」以前の「発語」に過ぎないかもしれない。しかし、表現性をぎりぎりまで突き詰めた上での発語だからこそ、そこには切迫した空気と夕凪のような静けさが湛えられているのである。(中島水緒)


 ギャラリー覚 (2006年9月4日?9月16日)
http://www6.ocn.ne.jp/~g.kaku/fukuda5.html