2006年10月05日
楊雅淳展
舞台に掛けられる垂れ幕は、シチュエーションによって様々な表情を見せる。上演前、人は舞台を遮る垂れ幕を目の前に、これから始まるドラマへの期待を膨らませる。襞がつくる形状も面白い。楊雅淳が新作のイメージの素材として選んだのは、この垂れ幕だ。
根津に移転してまだ日も浅いGalleryJINで、楊雅淳の個展が行われた。展示されたのは、アクリルとメディウムを何層にも重ねた絵画作品と、鉛筆によるドローイングが十点前後ずつ。アクリルの作品は、メディウムで透明感を出した画面にカラフルな筆触が踊り、独特な浮遊感を醸し出しているのが基本的なスタイルだ。ラメがほどこされた表面は、照明が当たると仄かにきらめく。そしてこの霞がかった夢想的な空間から、インクの線描で描かれた人物の群像がくっきりと浮き出ている。
人物のポーズにはいくつかのパターンがあるようで、観察してみると面白い。こちら側に背中を向けて身体を屈め何かを摘んでいるような仕草の人。しょんぼりと首をうなだれて立ち尽くすメイド姿のコスプレをした女の子。列を成して行進している人々。登場するのは現代人ばかりとは限らない。きらびやかなロココ調のドレスを身にまといしずしずと歩く婦人は、はたして何世紀からやって来たのか。画家の感性の赴くままに、時代も国も超えて人物が配置されているようだが、なにかの作業中であったり、あるいは連続写真から取りだした一コマのようであったり、これからの展開を予感させるポーズが多い。
画面に対して人物の縮尺が小さいため、小人サイズの人物たちがそれぞれのドラマを生きている様子を上空から観察しているような気分にさせられる。彼らなりに必死の日常があるのかもしれないが、楊の目を通じて切り取られたスナップはなんとも微笑ましくユーモラスだ。アンバランスな格好も情けない姿も、スタンプのように繰り返され画面のあちこちに散りばめられると、その光景はカリカチュア的になり、世界を相対化して眺める余裕が生まれてくる。
そして肝心の垂れ幕は、この群像劇にどのようなかたちであらわれているか。
垂れ幕のイメージは、波状の記号的なラインに還元され、画面を分割するように登場する。ある作品では画面の四辺をとりまくフレームとして、また別の作品では画面の前景・後景を遮る面として。山や波、強く張ったテント、マンガの吹き出しなど、いろんな形を多義的に投影できるところがこのイメージの強みだろう。人物が浮遊する曖昧な空間は、垂れ幕のラインに包み込まれたり遮られたりすることによって、夢からうつつへと、あるいはドラマからリアルへと移行する。
私たちが生きる現実の世界は、決して見通しのききやすいものではない。人の数だけ異なった日常があり、価値観がある。夢想だけでこの日常を描き出すことはできないし、ノン・フィクショナルな表現ばかりが続いても息苦しさが増すばかりだろう。そんなとき、夢と現実を自由に行き来する装置が見つかれば、世界は思いもかけない表情をあらわし、ぐっと身近に感じられるのではないか。楊の場合は、その装置が垂れ幕のイメージだと思われる。
ギャラリー奥の小部屋では、この垂れ幕のイメージをより抽象的に押し進めたドローイングを見ることができた。(中島水緒)
Gallery JIN (2006年9月22日?10月1日)
http://www.galleryjin.com/exhibitions/index.html