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2006年11月07日
空間に生きる―日本のパブリックアート展

「パブリックアート」という言葉はなんだかよくワカラン。そもそも「アート」の定義だって複雑怪奇百鬼夜行だっていうのに、そこにさらに「パブリック」なんていうぬらりひょんまで付いてくる。そのぬらりひょん「パブリック」と百鬼夜行「アート」がどーゆー関係にあるのかも政治家の答弁のように曖昧だ。
可能性としてその関係は【1】「パブリック」のための「アート」【2】「パブリック」な場所に置かれた(だけの)「アート」【3】「パブリック」を侵犯する「アート(=個人的な営為、もしくは悪意)」などが考えられる。
個人的には定義【3】こそが最有力候補だと思っていたのだが、しかし事前にあるだろうと予想していた川俣正の初期作品『工事中』や『ファベーラ』は会場内には見当たらなかった。そーいえばクリストの『アンブレラ』もなかったし、つまり定義【3】は「アート」であっても「パブリックアート」ではない、ということか。

となると「パブリックアート」の定義は【1】か【2】になるわけだが、とりあえず【2】はドーデモイイ。
問題は【1】だが、ここではその真ん中のひらがな四文字「のための」に注目してみたい。

「のための」。いい言葉だね?。なんのためにもならないかもしれないと思いつつも「表現することの意味」を暗中模索しているアーティストにとって、それはまさしく天上から射した一条の光のように見えることだろう。
「景観の美化」「まちづくり」「地域振興」「アメニティ」「コミュニティ」、いいね???「のためのアート」! なんならあと「戦争」とかも入れとこかw。
もちろん「のための」のお題目に便乗して、秘かにそこに個人的な「悪意」を込めるしたたかなアーティストもいるだろう(その場合は定義【3】となる)。しかし定義【1】型の「パブリックアート」の場合、したたかな「悪意」は「使われる」アートやアーティストたちよりも、むしろそれを「使う」側のほうにより強く感じる。

「アート」も「パブリックアート」も結局は文脈の問題だ。タレルの「光の館」だって見方によっては単なる気の効いた設備を備えた観光宿に過ぎないし、イサム・ノグチの遊具が他の職業デザイナーの設計した遊具と比べてどこがどう「アート」なのか俺にはさっぱりわからない。
会場をまわると、知らぬ間に日本中の公共空間がこんなにまでも「アートだらけ」になっているという事実に驚く。無用の長物かと思われていた「アート」も、どうやら公費の捻出から観光客の誘致、果てはトラスト運動にまで実に幅広く「使える」ようだ。
しかしそれが「アート」そのものの力なのか、それとも「アート」という言葉のマジックに拠っただけのものなのかは、個々の事例を個々の目で見て判断するしかない。(水野 亮)


「空間に生きる?日本のパブリックアート展」
世田谷美術館(2006年11月5日?12月24日)
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html?d=2