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2006年12月16日
小西真奈「夏の島」
 

抽象/具象という分類がもはや意味を成さないほど表現が多様化している現在でも、何かしらの対象やイメージを再現的に描いた絵画を総じて「具象絵画」とひとくくりにしてしまう粗雑さは、解消されるどころか最近ますます目立ってきているように思われる。描写系の若い作家が増えてきた状況に対し、とりあえず「具象」という言葉を使うのが便利だからなのだろうが、その作家たちも美術史上の文脈に対するカウンターというよりは内発的なモチベーションに導かれて描写に辿り着いているケースが多いため、抽象の対立項としての具象という概念が解体し、無頓着にこの言葉が使われているようである。
個々人の心の揺れ動きや私的な経験など、若い作家たちの表現のモチベーションはより曖昧で潜在的なレベルにある。とすれば「具象絵画」という括りも、曖昧で潜在的なものの正体を個別に見極めていく作業を放棄した、現在のアートシーンの「ゆるさ」を象徴する言葉なのかもしれない。

2006年のVOCA展で大賞をとった小西真奈は、まさに描写系具象絵画の代表格と言える作家である。ただ、絵画と対峙する小西の姿勢に曖昧さは感じられない。
デジカメで撮影された写真を元に描かれた画面は、隅々まで光の行き渡った明晰さと再現性の高さによって支えられ、ともすれば穏健な保守派の印象をもたらさなくもない。美しく整備された公園の景色とありふれた家族のスナップショットが何故か欠落感を漂わせている「ピクニック」「バドミントン」(2004)、奥深い山中を探索する人物の姿が印象的な「金華山」シリーズ(2006)など、人間が神秘性を湛えた土地を巡礼する、あるいは発見していく場面を思わせたり、どことなく失われた理想へのノスタルジーを感じさせる主題も手伝って、小西の作品は物語性を強く喚起させる要素があり、過剰なほどピクチャレスクである。また、画面のところどころで見られる卓越した筆の運びは、おそらくは西洋近代絵画あたりを主に参照しつつ、ごく真っ当に油絵のテクニックを学んできたことをよく示している。

しかし、こういった特徴は、小西が時代錯誤な画家であることを証明しているわけではないし、無条件に讃えられるべき側面でもないだろう。小西が写真を参照するのは、描写よりもイメージの生成を補助するためである。写真に潜む無意識は画家の目によって、また描くという行為によって抽出され、絵画的に再構成されている。
無意識が顕在化したような画面は、これまで多くの人によって「白昼夢のよう」と形容されてきた。あまりにも繰り返され過ぎたこの常套句は、描写系の再現的な絵画をおしなべて「具象絵画」と呼ぶゆるさとどこかで通じている。「白昼夢のような」画面とは一体どういうことなのか。夢を織り成す素材となるものについて、もう少し考えてみる必要があるだろう。

Kobo&Tomoはビルの地下にある小部屋を利用したスペースのため、今回の展示に出品されたのは比較的小さめの作品が中心だった。そのほとんどが、人っ気のない海辺や寂れた砂浜など、海景を描いたものである。
シンプルな構図とスケッチ風の描写は、画家の筆触をいっそう際立たせている。絵具の混色や塗り重ねを控え、最小限の描き込みで再現性を保っているため、イメージの眼前も危ういところで成り立っているように見える。描写がイメージを堅固にするどころか、イメージの不安定な本性を白日のもとにさらしているのである。
また、絶え間なく動く波や雲を捉えた素早いストロークなどは、モネをはじめとする印象派の画家たちの筆触を即座に連想させる。そういえば海景は、印象派の画家たちが好んで描いた主題のひとつであった。この「いかにも近代絵画風」の画面は、近代絵画の素朴な模倣、あるいは従順な継承と呼んでしまっていいものだろうか。ちょっと考えさせられてしまうが、筆触の喚起する既視感が描かれた情景=主題を凌駕して強く鑑賞者に迫ってくるとき、そこではイメージの転倒が起こり、「近代絵画らしさ」もまた相対化されていると言えるのである。
連綿と続いてきた歴史の中の絵画は、現在の目から見ればそれもまたイメージであり、蜃気楼のような儚い影である。儚い影は現在にまで届き、私たちが拠りどころにしているはずの現実をも侵食する。
人が小西真奈の絵画に「白昼夢のような」感覚を覚えるとしたら、それは彼女の絵が「具象絵画」の虚ろな側面を浮かび上がらせているからであり、自分たちの居る場所が夢のように不確かであることをほのめかしているからではないだろうか。(中島水緒)

Space Kobo&Tomo (2006年12月4日?12月16日)
http://www.spinn-aker.co.jp/kobo/t-guide.htm