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2007年01月28日
今日の作家XI 鷲見和紀郎「光の回廊」/畠山直哉「Draftsman's pencil」

神奈川近美の「今日の作家」展は、第一線で活躍中の作家が毎回2名ずつ選ばれて展示を行う連続企画である。第11回目を迎える今回の展示は1950年生まれの鷲見和紀郎と1958年生まれの畠山直哉。彫刻と写真というジャンルのコントラストが映えているが、この異色な組み合わせに企画側の強引な関連付けはなさそうである。個々に冠せられた展覧会サブタイトルや両面に一作家一点ずつ図版をレイアウトしたチラシからして、二人同時に行われる独立したソロ・エキシビションと考えた方が良いだろう。そして二つの展示を通覧したときに浮き彫りになったのは、作品云々という以前に両者の根本的な「作家性」の違いであり、「作品に対する主体の関わり方」の違いであった。

展示構成も、それぞれのコンセプトに沿ったパート分けが成されている。まず前半部。第一展示室では左右両面の壁に畠山の写真が掛けられている。ニューヨークの高層ビル(よく見ると実は模型)、僻地に建てられたプレハブ小屋、山奥に突如としてあらわれる近代建築や六本木のシンボルである森ビル…。そのほとんどが都市や建築物といった現代的なモチーフを扱っていながら、不自然な文脈に現れたり虚構の表象にすり替えられたりすることによって、どことなく異質で馴染みにくい空気を湛えている。写真の解像度の高さも、この作りものめいた非現実感の要因となっているようだ。

第一展示室の奥まったスペースには仕切り壁が立てられ、照明を落とした薄暗い空間が演出されている。ここに集められているのが、わずかに灯りがついている夜のマンションを写した「光のマケット」シリーズだ。ボックス型の写真パネルに実際にライトを仕込むことによって、内側からプリントの一部分を発光させる仕掛けである。タネを明かしてしまえばアイデア先行型の作品のように思えるが、ときにはトリッキーな手法も積極的に取り入れて写真の表層性に徹するあたりに畠山のクールなスタンスが示されている。

そして小部屋の第二展示室。ここには、水面に映るネオンの光が抽象的な軌跡を描く「川の連作」シリーズや東京と横浜を航空写真のように俯瞰して撮影したプリントの70点組が並ぶ。これらの作品に共通しているのは、どちらも非‐主観的な視線が画面に充満しているという点だろうか。都市の俯瞰図は何十枚ものプリントが縦横に並んで壁一面を埋めつくし、撮影者/鑑賞者に都市の全体像を把握させる特権的な位置を与えることなく、視線を無数の細部へと拡散させる。一方で近作「川の連作」は、不安定に揺れ動く水面がカメラの被写体でありネオンの光のスクリーンであることによって、視線の在り処を不確かな場所へ送り届けているのである。

鷲見の展示はテラスに面した半屋外と中庭のスペースから始まる。
2006年に制作したばかりの新作「EVIDENCE」は、抽象的なブロンズの立体と無機質な蛍光管を対置して屹立させた作品だ。ブロンズの立体は、手の痕跡が露わな削りの部分と伸びやかな流線型のラインが相互に作用して空気抵抗を生み出し、いまこの瞬間に立ち上がる身体像を喚起させるものとなっている。また、冷たい光を放つ蛍光管はライト・アートの系譜よりもニューマンのジップを彷彿とさせる。ブロンズ像と蛍光管を垂直性において対比させる手法は、ジャコメッティとニューマンの作品を同じ一室に並べたテイト・モダンの展示を意識したものかもしれない。ここからは、物質とイリュージョンの二項対立を弁証法的に乗り越えようとする造形の意志を読み取ることが出来る。

テラスと通路を仕切る壁一面を仄白く光るワックスで覆った「KAMAKURA VEIL 2006」。鎌倉館での展示に合わせて制作されたインスタレーションである。半液状のワックスを重力まかせに滴らせて物質的な厚みのある壁を作っているが、絶妙なコントロールで垂れ流しを止めているため、微細に波立つ表面が瞬間の積層とも言うべき相貌を立ち上がらせている。

あまり展示に適しているとは言えない半屋外や中庭は、ふだん「建物と建物をつなぐための中間ポイント」として認識しがちだ。ここにメインのインスタレーションを置くということは、作品を流動的な場で見せようという狙いだろうか。さらに80年代から新作までの作品を一同に集めた最後の展示室では、壁をガラス張りにして外光をふんだんに採り入れるなどして刻一刻と移ろう空間づくりが意識されている。だがやはり、安定しない環境下での展示には苦労の跡が見られる。ブロンズや鉄、アルミなど重量感のある作品を主にセレクトしたのは、鑑賞者の視線が散漫にならないよう、空間に求心力を与えようとした結果かもしれない。石膏を素材とする作品が一点も見られなかったのが惜しく感じられる。

屋外にはビデオが設置され、鷲見がワックスによるインスタレーションを制作している様子が上映されていた。おそらく鷲見は制作のプロセスやworkする身体にも焦点を当てたいのだろう。ワックスの壁に宿る継起的な時間、ブロンズや鉄の表面に刻まれる手の痕跡は、画家にとってのタッチに近いものがある。

畠山の展示タイトル「Draftsman’s Pencil」に乗じて喩えてみれば、鷲見はDraftsman(素描家)のスタンスを持つ作家と言えるだろう。対して畠山が照準を合わせるのは、あくまでDraftsman’s Pencil(製図家の鉛筆)のPencilの方である。「川の連作」で水面に描かれるネオンの軌跡が主体なき自動筆記であるように、畠山が手に入れたいのは完全な客体としてのPencil、機械のように精密に作動するPencilではないだろうか。Pencilが精密かつ厳格に都市の図像を描くほど、その表層には主体のコントロールを超えた無意識がすくい出されるからだ。

造形への信頼が前面に出ている鷲見と、理知的なストイシズムで現実の表象にアプローチする畠山。タイプの異なる二人の作家だが、それぞれの方法で現在を見据えているようである。(中島水緒)


神奈川県立近代美術館 鎌倉 (2007年1月6日?3月25日)