2007 年03月16日
夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史1.関東編
「写真」とはいったいなんだろう? 写真を見るとき、我々はそこに何を見ているのか?
根元的な問いに対する解答を得るためには、はじまりを見つめることはしばしば最良の手段となる。
現在東京都写真美術館で開催されている幕末・明治期の「芸術作品に用いられる以前の写真」を集めた展覧会「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史?T.関東編」は、「写真」というものの、あるいは「イメージ」というものの、その本質を垣間見せる好展覧会だ。
展示は日本に初めて写真がもたらされたまさしくその始原の地点から始まる。世界で最初の写真方式であるダゲレオタイプで撮影された往時のサムライのポートレートは、今日我々が日常目にする「写真」と同じものとは思えないほど、強烈な存在感を漂わせている。
そこで感じるものは「霊性」だ。「写真に撮られると魂が抜かれる」という当時流行した迷信もむべなるかなと思わせるような、そんな霊的な強度を感じてしまう。あたかも歴史上はじめて光学的に写し取られた「イメージ」を目にした往にし方の人々の畏怖と驚愕が、そのままそこに封じ込められているかのようだ。
相当な貴重品であったであろうこれら黎明期の写真は、桐の小箱に収めるなどしてそのひとつひとつに手の込んだ表装が為されている。そうした仕様は結果、写真のモノとしての側面を強調することになる。そのためもあるのだろうか、写された「イメージ」よりもむしろ、写真自体の存在感のほうを強く感知してしまうのもまた事実だ。つまりそこで感じる「霊性」は「イメージ」ではなく、「モノとしての写真」にこそ込められているとも考えられる。
しかし今回ひとつ面白い発見があった。ナダールによる遣欧使節を撮影した写真が鶏卵紙に現像されたオリジナルプリントと後年現像されたモダンプリントの二種類で展示されているのだが、その後者においても「霊性」がいささかも減じていないように感じられたのだ。年月を経たことによるネガの傷みがそのまま現像されていることも影響しているのかもしれないが、むしろモダンプリントのほうが「霊性」においてはオリジナルを勝って見える瞬間もあったほどである。
もしその感覚が正しいのであれば、「霊性」はモノだけではなくイメージそのものにも宿るということなのだろうか? 果たしてそれは先入観による錯覚なのか? イメージ自体が「霊性」を有するのだとすれば、それは複写によって弱まりはしないのか? 弱まるとしたらそれはどのタイミングで、いったい何故なのか?
そんな様々な疑問が頭の中を駆け巡るナントモ興味深い体験だった。もちろん「霊性」の感知に関しては人それぞれなので、ぜひ現物を見比べて判断してもらいたい。
歴史のスピードも物事の進化も共に加速していた時代なのだろう。写真がその霊的な存在感において突出しているのは、黎明期のわずかな時期のみにとどまる。海外からの技術習得などを経て、写真は日本において急速に普及していく。そしてそれは写真がその本来的な機能を発揮していくことも意味する。
例えば写真は公的記録の分野において重要な役割を果たすようになる。会場では1891年に愛知・岐阜で起こった大地震の惨禍を記録した報道写真が展示されているが、それ以前であればおそらく絵や版画といったメディアで記録されていたであろうこうした歴史的な事件も、写真の発明と普及によってより密度の高い情報を後世に伝えられるようになったのである。
そこで我々が見るものはもはや霊的な「モノとしての写真」ではなく、厳然たる「史実」である。そしてともすれば「史実」の重みの前に、それを「イメージ」として捉える意識すらをも薄らいでいることに気付く。
もちろん現代に生きる我々にとってイメージとは常に虚偽と隣合わせのものである。デジタル加工が当たり前になる中、写真の信憑性は現在では限りなく弱まっている(もちろん写真とは本来的に虚実の狭間にこそ存在するものである、とも言える)。しかしそれでも「表現」といった夾雑物がまだ入り込む余地のなかった草創期の報道写真には、あたかも「史実」そのものが純度の高いまま封じ込められているように、イメージの真偽の揺らぎのなかに生きる現代の我々にも思わせてしまうような、そんな「重み」を感じてしまう。
肖像写真の分野においては、写真はまた別の顔を見せる。そこで我々が見るものは、「記憶」だ。
当時を生きた見知らぬ人たちのポートレートは、そこから「史実」を感じ取るにはプライベートすぎるのかもしれない。しかしその分そこに写されている人物について、あるいはその写真を保有してきたひとびとについて、我々が想像する余地は増える。
つまり「記憶」は、写されたイメージ、モノとしての写真、そしてそれを見て取る我々の想像力の中に存在する。歴史に(あるいは芸術に)整理・分類されないことで、これらの私的な写真はその歴史的価値や芸術的価値を減じるのかもしれないが、しかし歴史や芸術に絡め取られていないからこそ、純粋に「記憶」として屹立しているとも言えるのである。
それは同じ肖像写真でも西南戦争で負傷した官軍側の兵士たちのポートレートと比べるとよくわかる。そこで写されているのは個々の無名の人間というよりは、歴史的な事件のなかで彼らが負った身体的な傷であり、我々がそこに見るものも一人の人間に纏わる「記憶」ではなく、西南戦争という大きな「史実」である。「大きな物語」の前では個々の「小さな物語」は見えにくくなる。どちらが良くどちらが悪いというのではなく、それは単なる事実であり、二種類の肖像写真はそのことを明示している。
展覧会の最後のセクション「海を渡るイメージ」では今日まで続く写真の重要な商業的一側面を見ることが出来る。すなわちそれはステレオタイプなイメージのビジュアル化とその再生産だ。
そこに展示されている日下部金兵衛による外国人向けの土産物として作られたのであろう通俗的な「日本イメージ」を写した写真は、いわばイメージが先行した、イメージから遡行して作られた写真である。それは当時の風物や人々の「記録」というよりは、海外から見た当時の「日本」のステレオタイプなイメージを具現化させただけのものであり、現代の眼から見たときにそのキッチュさに面白さを感じこそするものの、そこから「史実」や「記憶」を読み取ることは基本的には困難である。
それは少し前のセクションに展示されている下岡蓮杖の名刺判コレクションと比較してみるとより明確になる。下岡も同じく日本的な小道具を使って扮装させたモデルを撮影しており、いわば日下部に先行する「日本イメージハンター」の開祖的存在と言えるのかもしれない。しかし日下部の写真が表層的なイメージのみにとどまって「深み」を感じさせないのに対し、下岡の名刺判写真からは当時を生きたひとびとの息吹きをまだ感じることができる。
それはおそらく「写真」という技術に初めて接した写真師とモデルの草創期特有の「ぎこちなさ」が、下岡の写真にはまだ含まれているからだと思われる。その「ぎこちなさ」こそが当時の人々の息吹きと時代の空気を写真のなかに残存させているのだ。対して「あらまほしきイメージ」を巧みに撮った日下部の写真は、その巧みさゆえにもとの図式的なイメージの域を出られない。言い換えればそれはそれぞれの写真が含有する情報量の差でもある。たった数十年の差で写真は、例えば広告写真などに代表されるような「余分な情報を削ぎ落として既定のイメージを具現化する」というその後商業的に存分に活用されるようになる側面を、完成の域にまで到達させたことがわかる。
本展の企画者は「古写真」の定義を「近代的写真表現の洗礼を受けていない、あるいは表現という自覚なしに制作された写真」としている。しかしそんな古写真たちは、それが表現であるという自覚が生まれて以降の「写真」を、そして今日の我々の視覚と知覚の仕組みをも照射しているように思える。(水野 亮)
東京都写真美術館(2007年3月10日?5月6日)
http://www.syabi.com/details/kaitaku.html