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2007年04月23日
レオナルド・ダ・ヴィンチ?天才の実像

「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」と言ってもレオナルド自らの手になるものは「受胎告知」一点のみ(他に伝レオナルドのテラコッタ像が一点出品)。森美術館下階のレンタルスペースで催された「ダ・ヴィンチ展」に辟易した記憶もまだ新しく、今回もまた退屈なパネル展示と幼稚なインタラクティブ遊具を延々見せられるのかと正直ウンザリしていたのだが、その予想はいい意味で覆された。これは資料展示のみでレオナルドという一人の「天才」の実像を解き明かしてみせるという離れ業を演じた優れた展覧会である。

その業績はあまりに高名だが、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」には芸術家としていまひとつクリアーなイメージを抱き難いという印象がある。それには「万能の天才」という安直なラベリングが深く関わっていると考えられる。
「天才」という言葉には「天から賦与された才能」という意味合いが隠されている。つまり「天才」は天から授かった特別な才能を有しているが故に我々「普通の人間」とは「違った存在」なのである。仮に「神」対「人間」という構図を想定した場合、「天才」はともすれば「人間」のカテゴリーから離れ、「神」の領域のほうに近付くこともある。人々はそれを畏敬を持って呼称することもあるが、単に理解不能なものを「天才」とラベリングして自分のカテゴリーから排除し、当座の心の安定を得ることもある。
「モナ・リザ」をその頂点とする画家としてのレオナルドの業績が全人類的に遍く知られているにもかかわらず、「芸術家としてのレオナルド」がぼやけたイメージしか作り出さないのは、彼が「万能の天才」であるからに他ならない。もし彼の業績が絵画と彫刻しか知られていなかったら、「芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ」への認識はもっと咀嚼しやすいものになっていただろう。しかし「あの名画を描いたレオナルド」が天文学、物理学、解剖学、建築学などにも関心を示し才能を発揮したとなると、もういけない。どう考えてもそれは我々の理解を遥かに超える存在であり、「万能の天才」にカテゴライズして埒外に放り出しておくにでもほかに術はないのだ。

今回の展覧会はイタリアのウフィツィ美術館で開催された展示に日本側が新たに用意したセクションをプラスするという形で構成されているのだが、日本側作成のセクションにおいては、レオナルドの多分野における探求は全て「絵画」という最終目的の為になされているという印象を受ける(それが名画一点を餌に客を掻き集めて集客数を伸ばそうとしていることに対する罪悪感から来ていると考えるのは穿ち過ぎだろうか^^)。
しかしその「多彩な才能」が全て絵画芸術に集約されるためのものだという考えはワカリヤスくて魅力的だが、間違っている。たとえレオナルドが絵画をあらゆる学術のなかで最上位に位置するものだと考え、多分野における探求の成果がそこに生かされているとしても、彼は「絵画を描くため」に天文学、物理学、解剖学、建築学など「この世のあらゆる現象の探求」を行ったわけではないからだ。そのことはイタリアから巡回してきたセクションの展示を見るとよく理解できる。

レオナルドの手記を基に映像や模型を使って彼の探求をわかりやすく説明するイタリア側の作成による展示は、単純に見ているだけで充分楽しめる出来映えだ。そこには理科の実験結果や数学の解に驚くような原初的な喜びに加え、レオナルド自身の思考をなぞっていく楽しさもある。「絵画の絵解き」のみに終始したような退屈な解説展示と異なり、レオナルドとともに世界の秘密をひとつひとつ明らかにしていくような、そんな知的興奮を味わうことが出来る。
そこで明らかになることは、一見「天から与えられた多彩な才能をジャンルを問わず全方位的に発揮している」というややもすると漠然としたイメージであった「万能の天才」レオナルドの多分野における探求が、実はあらゆる手段を用いて「この世界の秘密を解明して行く」という一貫した欲求の上に成り立っているというごくシンプルな事実である。

それはある意味「造物主」である「神」に対する暴挙でもある。そしてレオナルドの「この世界」の謎に迫ろうとする探求は、不敬を遥かに超えてエゲツナイほどに貪欲なのだ。
「神秘的」であったはずのこの世の事象は、レオナルドの手によって数学的に、物理学的に、解剖学的に、次々と顕わにされて行く。レオナルドが絵画を「あらゆる学術のなかで最上位」と見なしていたのも、諸分野の科学的探求の成果を体よくそこに反映させられるからではなく、絵画が科学の力だけでは及ばぬ領域(精神、魂)に触れ、さらにはこの世には存在しない形態の創造といった「この世界」の仕組み自体を超えて行く手段に成り得ると考えていたからではないだろうか。
たとえその才能が「天」から与えられたものであったにせよ何せよ、そこにいるのは「この世界」の仕組みを暴き、さらには自らの手によって新たな世界をも創造しようというあまりに「人間的な動機」に基づいて行動するまさに「我々の側」に立つ一人の「人間」なのである。

ところで今回の目玉である「受胎告知」だが、実は見ていない。開門直後に入館したのだが、既に中庭には常軌を逸した長蛇の列。「記念」に見るのならともかく、散々並んだ挙句にパンダ見るよに(例えが古いか?^^;)通りすぎながら見ようなんて気はさらさらなかったので、あっさりと断念した次第。(水野 亮)

「レオナルド・ダ・ヴィンチ?天才の実像」
東京国立博物館(2007年3月20日?6月17日)
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3859
公式サイト:http://www.leonardo2007.jp/