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2007年05月20日
特別公開 岡本太郎≪明日の神話≫

"岡本太郎の「作品」?脱「岡本太郎神話」宣言"

岡本太郎の絵画に対する評価は、どうも奇妙だ。
まずは評価しない側。これはわかりやすい。色音痴、筆触が汚い、マンネリ、自己模倣、etc。なるほど確かに嫌いな人にはトコトン評価できない絵だろう。
しかしそんなアンチ派も初期の作品≪痛ましき腕≫や≪夜≫、≪森の掟≫などは「認め」てたりする。嫌われるのはもっぱら60年代以降に描かれた作品だ。
では評価する側はというと、、、よくよく聞いてみるとこちらも60年代以降の作品は実は好きではなかったりするのだ。そのほとんどが大同小異に見えると公言している「支持派」の専門家もいる。それでも「そんな大同小異の絵を描き続ける太郎の姿にはいとおしさを感じる」とか「作家性の不在ゆえに支持する」とか「そもそもどの時代のどの作品が傑作だとかいう考え方は岡本太郎に関してはナンセンスだ」とか、みんななんだかんだ理屈を付けて60年代以降の岡本太郎の「作品」もなんとか認めようと、いや、なんとか目を瞑ろう躍起になっているように見受けられる。

なんともキテレツな光景である。

嫌いなら嫌いと、何も感じないのなら何も感じないと、はっきりそう言えばいいのだ。何もあれこれ理屈を付けてまで「認め」ることもあるまい。

しかし他の画家ではありえないようなそんな「捩れた評価」も、それが岡本太郎であるならばむべなるかなと思ってしまう節も確かにある。
日本の戦後美術史における最大の理論家でありアイドルであり論客でありアジテーターでありパフォーマーでありトレンドリーダーでありトリックスターであったこの作家のそのあまりにも多方面にわたる巨大な業績が、「岡本太郎評論家」たちをして自身の鑑識眼に対して無条件に首肯しかねるよう仕向けていることは想像に難くない。「岡本太郎」は評価したいが、彼の60年代以降の絵はどうしても評価できない。その「ジレンマ」が曖昧な物言いやアクロバティックな評価理由(屁理屈、とも言う)を呼んでいるのだろう。


岡本太郎の絵画の軌跡について簡単に振り返ってみる。

パリ時代の作品は戦後再制作された数点と図版しか残っていないが、抽象(完全に平板なものではなく量感を持った抽象的物体によるコンポジション)から始まり、徐々にそこに具体的なモチーフ(リボン、腕)が描かれるようになる。パリ時代の作品は基調となる色彩が暗い。後の岡本芸術の特徴となる原色が画面に氾濫するようになるのは戦後、1940年代の末からだ。実は50年代の初頭には既に絵画における岡本のスタイルはほぼ完成してしまう。この頃確立された原色を特徴とする色彩やモチーフ(あるいは「キャラクター」)を岡本は終生「使い続ける」ことになる。それは岡本作品への「自己模倣」「マンネリ」との非難に当然繋がることになる。スタイルが確立される草創期に描かれた≪重工業≫や≪森の掟≫といった代表作では、まだ描かれるモチーフには陰影によるマッスがあり、絵の具の塗りも安定している。しかしこの後、岡本の絵はどんどん平面的になり60年代初頭の「カリグラフィ」シリーズを経てモチーフもより一層抽象化していく。絵の具の塗りも刷毛目を残した荒いものとなり、それはともすれば見るものに「雑」な印象を与える。旧来的な美的価値観からすれば、それは当然「認めがたい」ものであると言えよう。
確かに岡本にとってキャンバス上におけるスタイルの模索を伴う表現の探求は50年代初頭で終了したと言っていいだろう。1911年生まれの岡本はその頃既に40歳である。自分のスタイルを確立しその後大きな画風の変化がなかったとしても、一般的な「画家」の画歴に照らし合わせても、それはそう特異なケースではない。画風の確立に合わせるかのように50年代初頭から岡本は立体作品を手がけるようになり、さらにはデザインや建築、そして公共彫刻へとその表現分野を急激に拡張していく。それらが全て絵画において確立したスタイル(色彩や形象、キャラクター)の「応用」によって成り立っているところから見ても、岡本がキャンバスの上での革新に「行き詰って」、新たなる大地を求めてその表現分野を拡げていったとする見方はある意味正解であろう。そしてそれは「画家」の表現欲求として見ても、まことに健全なものなのである。

しかし岡本は絵を描くのを辞めたわけではない。具体的な点数はわからないが、制作量が落ちているようにも思えない(むしろ「大量生産」しているように思える)。執筆や公共彫刻の制作など多忙なスケジュールの間隙を縫って、岡本は絵画をずっと描き続けている。
これは有名な逸話だが岡本は生前絵を売ろうとはしなかった。「絵は売り物ではない」というのがその理由なのだが、つまり岡本は「生活のため」に絵を描いていたわけではない。もちろん趣味で気晴らしの為に描いていたわけではないだろう。ではなぜ「本職は画家ではない」と公言し、表現手段も「別に絵画でなくたっていい」と言っている岡本が、終生誰に頼まれたわけでもなしに「大同小異」の「マンネリ」な絵を描き続けたのだろうか?

「岡本太郎」には魅かれるが岡本の絵画は嫌いな者たちは、躍起になって彼の人生や「作品」以外の業績からその「秘密」を探ろうと懸命になっているように見える。
しかし実はそこには「秘密」なんてものはない。「答え」は容易に手に入る。
つまりは絵を見ればいいのだ。

60年代以降の岡本太郎の絵画が「みんな同じに見える」という見解はある一面では正しいが、ある一面では間違っている。
確かにスタイルの変遷から見たととき、60年代以降の岡本の絵画には大きな変化はない。エポックメイキングとなる作品もなく、個々の作品の優劣の差も平坦に見える。≪痛ましき腕≫や≪森の掟≫といった初期の代表作がそのイメージにおいて単独の作品として屹立しているの対して、後期の作品は一様に「岡本太郎印」的な「キャラ」に収斂されてしまっているようにも見える。
しかしそれはあくまで「スタイルの変遷から見たとき」であり、鳥瞰である。個々の作品をひとつひとつ見るとき、いや個々の作品にひとつひとつ「向き合う」とき、俺は決して60年代以降の岡本の絵画作品が「みんな同じに見える」とは思わない。むしろ同じ作品がそれを見るこちらの状況によって「まったく違うものに見える」ことこそ、岡本太郎の絵画の、特に60年代以降の岡本絵画の、本質だと思っている。

なかなか実作に触れる機会の少なかった岡本の絵画作品も、川崎市岡本太郎美術館が出来たおかげで今では恒常的に見られるようになった。個人的にはここまで同じ作品を年間を通して何度も見る機会に恵まれている作家は、現在では他にはいない。しかし全く同じ場所の同じシチュエーションで同じ絵を見ても、岡本太郎の絵画の場合、こちらの体調や気分、モチベーションの度合いによって、まったく絵から受ける印象が異なってくるのだ。
正直ツマラナイときは、本当にツマラナく見える。筆触の荒さ(雑さ)や絵の具の彩度の劣化にばかり目が行って、それこそ「みんな同じ」に見えてしまう。しかし同じ絵を日を違えて見てみると、まるで様相が異なって見える。画面から何か得体の知れない感覚が伝わってくる。それは微細な波動のようにも、強烈に押し寄せてくる突風のようにも感じることが出来る。同時にひどく引き付けられる。一端絵の前を離れても、自然と足がUターンしてまた同じ絵の前に戻ってしまう。絵の前に立ちつくしていると体内に得体の知れぬものがふつふつと滾るような、そんな感覚が湧き上がる。自分の中でナニカが「生まれた」ことに気付く。
多かれ少なかれ「作品」とは皆そのようなものであるのだが、岡本の絵画の場合それがあまりにも顕著かつ極端なのだ。そしてそれは岡本にとって確実に意図的なものであると思われる。


「作品」とはいったいなんだろう? 一部専門家のあいだでは岡本は「作品」という概念を否定したとして受け取られている節がある。確かに「作家の意志」や「ドラマ」「衝動を実現すること」こそが問題なのであって、「結果は知ったことじゃない」と言う岡本の言葉は、岡本の「絵画作品」に違和感を持つものにとっては絶好の錦の御旗に見えるのかもしれない。事実岡本は「芸術作品」や「美術品」の卑小さやその限界を、例えば「呪術」などに比して繰り返し語っている。
しかし「芸術ってのは画面じゃなくて、つまりそういうエモーションの問題」という岡本の言葉を、単純にモノとしての「作品」の存在価値を否定したものとして取り違えてはならない。
「芸術」とは「作品」ではなく「衝動」、「エモーション」、「ドラマ」であると岡本は言う。彼にとっては「結果」でしかない「作品」は、確かに「衝動の実現」という本来の目的に比べれば「知ったことじゃない」ものなのであろう。その言葉に欺瞞はない。
しかしそれはあくまで「作者」である岡本にとっての話である。それを見る我々にとって、岡本の描いた絵画は決して「結果」なんかではない。それは「衝動」や「ドラマ」の源なのだ。もちろん衝動やドラマが「作品」のなかに埋め込まれてあって、我々がそれを一方的に受動するという意味ではない。「衝動」も「ドラマ」も我々が「作品」に生身でぶつかっていったとき初めて、その衝撃と「爆発」によって生まれるものなのだ。
「作品」とは決して作者の思想や嗜好に従属するものではない。それは作者にとっても、そして鑑賞者にとっても常に「客体」として存在し、それと向き合い、ぶつかり合うことによってはじめてそれは「作品」として成立する。その衝突なくしては「作品」なんて「インク瓶や吸殻入れと何ら差別なく」ただのモノに過ぎない。
岡本にとっては衝動の実現の「結果」であるモノに、我々が我々自身の生身でぶつかり、そこで新たな「エモーション」や「ドラマ」を生み出す。その「作品」という有形のモノをめぐる無形の爆発の連鎖こそが、岡本の言う「芸術」なのである。「作品」は決して「目的」でもなければ、一方向的な「衝動」の残滓でもないのだ。

もちろんそこで生じる「ドラマ」は千差万別、予測不可だ。そのブレが大きいほど、作品をめぐる「エモーション」も高まる。岡本が自身の絵画から耽美的な陶酔の余地を意図的に排除したのも、言わばその「枠」をとっぱらってしまうためなのであろう。
作品を「作品」たらしめるのは、画面の下方に入れられた作家のサインではない。それと対峙しするものとのあいだで起こる「ドラマ」、そこで生じる「衝突」こそが作品をして「作品」たらしめているのである。限定された「美」の領域内では、起こる「ドラマ」も予測可能な限られたものでしかない。その「衝突」や「ドラマ」に無限の可能性をひらくためには、感覚的な「美」の世界からは抜け出す必要がある。その為に岡本は自身の絵画において「猛烈に好かれない工夫」をするのだ。旧来的な絵画の美的価値観を有する人たちが、岡本の絵画に嫌悪感を覚えるのは当然なのだ。それはまさに岡本の意図するところなのである。

だから作品と生身でぶつかることによって生まれる「エモーション」は、決して肯定的なものばかりとは限らない。陰陰滅滅とし、落ち込み、吐き気がし、途方にくれ、死にたくなったって別に構わない。岡本は自身の著書の中で苦しみこそが人間が生きることの本質だと言っている。岡本の「作品」は「元気」や「やる気」だけを与える金太郎飴的な存在では決してない。そこでは「苦しみ」や「苦悩」だって起こり得る。それこそが「生きる」ということだからである。だから岡本の絵から嫌悪感しか受けないものは、とことんその嫌悪感を信じれば良いのだ。それは優劣の問題ではない。正面からぶつかりそこに何も感じないのであれば、それは「何も感じない」ということにおいて圧倒的に正しいのだ。単純な好悪の問題を言っているのでもない。好悪はともすればスタイルの判別の段階で決定される。それは単に趣味や嗜好の問題だ。単純な趣味性を超え「作品」に向き合い、ぶつかって行っても嫌悪感しか得られないとき、その「嫌悪感」には大きな意味がある。むしろ全ての人に同じような好感や似たような感銘しか与えないような作品は「作品」ではない。


ところで60年代以降の岡本の「作品」を評価しない者たちが、それでも唯一評価する作品がある。≪太陽の塔≫である。
ほとんど関東から外に出ることのない俺が≪太陽の塔≫を見たのは実はたった一度きりなのだが、その印象はやはり凄まじかった。写真などでそのイメージをよく知っているもので、実物を見て事前に描いていたイメージとの落差にあそこまで驚愕したものも他にない。その二周りも三周りもスケールの間違った「ベラボー」な感覚に、文字通り開いた口が塞がらなかった。あんなトンデモナイものは確かに他にない。
言うまでもなく≪太陽の塔≫は1970年の大阪万博の為に造られた建造物であり、万博の再検証を含めその考察は現在でも盛んに行なわれている。
しかし敢えて言ってしまえば、、、万博なんてドーデモイイのだ。
俺を圧倒するのは、千里の丘にたった独りでぽつねんと立ち続けるあの「太陽の塔」なのである。見てもいない「昔あったイベント」なんかに興味はない。
それは暴論として受け取られるかもしれない。もちろん当時の時代考証や成立事情、万博に対して岡本が打ち出した哲学や物語などへの研究は重要だろう。しかしそれはいまこの瞬間も千里の丘に立ち続けるモノとしての「太陽の塔」とそれに衝撃を受けた俺との間に起こった「衝動」や「エモーション」を補完するものであっても、決して超えるものではない。「俺」と「太陽の塔」のあいだに起こる「ドラマ」にとっては、それは瑣末的な事柄なのである。


その≪太陽の塔≫と並び60年代以降の岡本の「作品」としては「例外的」に傑作とされてきたのが≪明日の神話≫である。しかし長らく消息が不明になっていたという事情もあって、その評価は「神話」にのみ基づいて為されたものだった。
しかし周知のとおり「神話」は「作品」として顕在化した。移送→修復を経て、≪明日の神話≫は現在東京都現在美術館の常設展示室において一般公開されている。先日その実物と対面してみて、「神話」だったこの作品が、紛れもなく岡本太郎の「絵画作品」であり、まったく「例外的」なものではないという事実が確認できた。

≪明日の神話≫には岡本絵画の「嫌われる」要素がすべて入っている。汚い原色、平板な形態、荒い筆触、見慣れたキャラクター。正直実物を見るまでは、俺はこの≪明日の神話≫にはあまり期待していなかった。下絵とタブローの区分を厳密に分けていた岡本にしては珍しく≪明日の神話≫ には完成度の高い巨大サイズの下絵が存在する。オリジナルがメキシコにあったということもあり、日本ではこの下絵こそが≪明日の神話≫の真の姿を伝えるものとしてその存在を知られてきたのだが、俺はそのまるっきり「巨大サイズのタブロー」にしか見えない下絵のほうに強く感銘を受けていたこともあり、岡本自身は数回現地に渡ったのみで実作業のほとんどをメキシコの画家と職人たちに任せていた「完成版」の壁画のほうは「もしや下絵をただ忠実に引き伸ばしただけのシロモノになっているのでは?」と危惧していたのだ。
しかし実際にはこの巨大な壁画は「岡本太郎の絵画作品」以外のナニモノでもなかった。確かに細部に目を凝らすと修復時に欠損部を補ったときの加筆なのであろうか、やや違和感を覚える筆触もないことはない。しかし全体としてはほとんど気にならないし、むしろ岡本絵画の「嫌われる特徴」である雑な筆触や原色の汚く混ざった濁りなどがこの超巨大サイズの画面でも忠実に再現されていることに驚く。壁画なのでてっきりウェルメイドな仕上がりになってしまっているのではと不安に思っていたのだが、現地を訪れた本人による仕上げが効いているのか、あるいは現地のスタッフたちに入念に指導をしていたのか、とてもホテルのロビーに飾る壁画とは思えない画面の「仕上げ」である。まさに岡本太郎の「絵画作品」だ。

この壁画を見てしまうと、「完成品」以外のなにものにも見えなかったあの下絵が、本当に「下絵」だったということがよくわかる。ケタ違いのスケール感は圧倒的だが、単純に「大きい絵」だから迫力があるわけではない。この常識ハズレの大きさも画面の効果として巧みに利用されていることがわかる(岡本は作品のスケールに関してはとくに自覚的な作家だった)。
画面から伝わってくるのはなんとも言えない「凶々しさ」だ。俺が岡本の絵画に触発されるときに感じるものは、いつもこの「凶々しさ」を伴っている。単純に明るく朗らかなだけにしか見えないときは、大抵何も感じ入ることはない。
「凶々しさ」は作品が「原爆」を主題にしていることにも拠っているのだろう。しかしそれだけではもちろんない。優れた作品とは、いや「作品」とは、常に多様な解釈を可能とするものだ。一面的な解釈しか許さぬ作品は「作品」ではない。ピカソの「ゲルニカ」がスペイン内戦における悲劇を主題としつつそれを超えた普遍的なモチーフへと到達しているように、≪明日の神話≫も「原爆」や「核」を遥かに越えて、人間が原罪として太古より抱え続けてきた負の衝動と狂熱的なエネルギーの核心にタッチしているように感じる。それを単純に「反戦」や「非核」に対する意志と受け取ることも可能だが、同時に破滅へと駆り立てる暗い衝動への激しい共鳴のようにも感じる。安易なヒューマニズムやポリティカル・メッセージに収斂されないナニカが、ここには確実に存在する。

もともとホテルに設置されていた壁画を美術館で展示するのは、確かに本来的な見方ではないのかもしれない(あとホテルでは階段部に当たった両脇下の空白部分は、現在の灰色ではない他の色で埋めたほうが合っている気がする)。
しかし、やはり実作が見られる意味は限りなく大きい。展示室に設置された映像モニターでは「岡本太郎はたった一人でこの巨大な絵画を描き上げた!」といった嘘八百が放映されていたが、そうしたイベント屋的な発想による「≪明日の神話≫の神話化」は早急に止めるべきである。
我々の現前にあるものは、まぎれもなく「作品」としての≪明日の神話≫なのだ。ちゃんとそれを自分の目で見ればよいではないか。いい加減「神話」ばかり見てるものは、早々にその目の濁りを洗い落とせ!

「語り部」であった岡本敏子氏が他界したいま、我々の手に残されたものは太郎の「作品」だけである。いまこそ我々は岡本太郎の「神話」を早急に解体しなければならない。
確かに岡本太郎という人間は近代以降の日本において傑出して魅力的な人間だったに違いない。彼が残した様々なエピソードや「神話」は、我々を鼓舞し勇気付けるのかもしれない。
しかし敢えて言おう。所詮そんなものは「栄養ドリンク」か、もしくは「おまじない」みたいなものに過ぎないのだ。気分が落ち込んでいるとき、やる気が失せているとき、おまじないで「岡本太郎」の名前を囁いてみる。途端に元気が出る。困難な仕事を前にして臆しているとき岡本太郎のエピソードを思い起こして自らを奮い立たせる。確かにそれもよいだろう。でも結局そんなの体よく「岡本太郎」を消費してるだけ。そこに岡本太郎はいない。
もし岡本太郎がいるとすれば、それは「神話」のなかではなく彼の残した「作品」のなかに他ならない。そしてそれは我々が我々自身として生身で向き合い、ぶつかっていかない限り決して見付からない、いや「生まれ得ない」ものなのだ。「Be TARO」とかそんな馬鹿なことを言ってる場合じゃない。我々は我々自身として「作品」と向き合わなければならない。生身でぶつかっていかなければならない。作品と向き合う「危険」を回避させ、体よく「岡本太郎」を消費させる「神話」なんか捨ててしまえ! さもなければ、そこに岡本太郎が「生まれる」こともない。永遠に「神話」のなかで死んだままだ。(水野 亮)


「特別公開 岡本太郎≪明日の神話≫」
東京都現代美術館常設展示室3階(2007年4月27日?2008年4月13日)
http://www.mot-art-museum.jp/jyosetu/page6