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2007年06月28日
林 武史展「雨の記憶」

彫刻は重力に抗うように垂直に屹立するもの。そうした既製観念を覆し、林武史が床に寝かせた作品を発表したのが、2003年に東京藝術大学美術館陳列館で開かれた「彫刻の身体」展であった。展示された場所は外から陳列館に入る門の下。粗く削り出された矩形の四角い御影石が、4本の柱の間に敷き詰められている。正直、この作品と向き合った時、どう「眺めて」よいのかと戸惑いを覚えた。しかしじっと作品を見下ろしていると、立ち上がってくるかのような不思議な存在感をもって眼前に迫ってくるようだ。そうしてしばらく作品を「眺めて」いると、林に「作品の上に乗って」と促された。言われるままに作品の上に乗ると体がグラリと揺れる。何層かに積み重ねられた石は裏面を凸凹のままにされており、その上に人が乗ると重心の移動で石が微妙に動くのだ。このアイディアを林はヨーロッパの石畳を歩いた時の想い出から得たという。アスファルトのようなフラットな面を歩行するのとは異なる感覚。歩くという感覚を取り戻したという。この作品でその感覚を再現したかったという。

この作品の展開は2005年に島根県の玉造温泉で行われた「第1回出雲・玉造アートフェスティバル」でも続けられる。この展覧会では温泉街にある出雲大社と同じ作りの神社で試みられた。用いられた石は地元で算出される来待石という砂岩。社に向かう参道の石畳にクロスするような形で接地されたのだ。芸大で展示された際には作品の上に乗ることを躊躇する人が多かったが、ここでは否応なくその上を渡って参拝せざるを得ない。タイトルは「歩く人?玉作湯神社」。「歩く人」はロダンの作品にもあるが、彫刻家としての林がそれを意識していたかどうかは不明である。しかしいずれにしろ作品を「眺める」対象として限定するのではなく、身体感覚を動員して「鑑賞」するものにしている。余談になるが、この神社の作品は買い上げられるという話しもあったが、危険を伴うということで却下されたそうだ。林にとってはその「危険性」をも作品に取り込んだつもりだろうが…。

さらにこうした寝かせる作品は今年に入って開かれた東京画廊での個展でも展開された。ただし東京画廊では白い大理石が使われる。御影石や砂岩とは違った穏やかで柔らかな表情は、これまでと異なる方向を模索していると予感させた。そしてそれらの1つの集大成になると思われたのだが、7月22日まで藤沢のギャラリーヒラワタで開かれている林武史展「雨の記憶」。このギャラリーは室内と、生け垣に囲まれた芝生の庭の両方に作品を接地できる。林は庭の方に御影石の作品を、室内には大理石の作品を接地した。荒々しいテクスチャーをした御影石の黒灰色、柔和な表情を見せる大理石の白。その色彩と肌合いの違いがこれまでとは違った、叙情的ともいえる「記憶」というタイトルに相応しいのかも知れない。どちらが現実の出来事で、どちらが記憶に残された光景かは語られない。もちろん、これまで通り2つの作品には乗ることができる。見る側は腰を下ろし、あるいは裸足で作品の上に上がり、その身体的な感覚とともに視覚的な「眺め」から判断する。荒々しい方を現実と取り、柔和な方を記憶として留めるか。あるいは柔和な方を現実として選択し、荒々しさに記憶の痕跡を見るか。そのどちらでもあり、どちらでもないかを。(提髪明男)

ギャラリーヒラワタ↓
http://www.g-hirawata.com/#