2007年07月17日
継続する意志vol.14 川崎広平展
いつもと違って薄暗い展示室。中に入ると、工業製品のパーツのようなかたちをした無機質な立体作品が、台座や床、壁などに5点設置されていた。どれも透明な樹脂で出来ていて、内部に仕込まれたLEDや蛍光灯が透けて見える構造だ。光に「照らされる」ことで相貌を露わにするのでなく、あらかじめ内部に光を「孕む」作品である。
作家は彫刻科の出身らしいが、暗闇のなかで静かに息づく発光体は、デザイン性の優れた照明器具や水槽を連想させる外観のせいで、おおよそ「彫刻作品」らしくない。またきらびやかな光によって生み出されるイリュージョン性が、表層的な知覚の戯れに留まっている印象さえ与えかねない。
三次元芸術である彫刻は、つねに実体と周囲の空間との関係性、光(照明、自然光)との関係性が問題とされる。優れた彫刻作品のうちには、外部との関係性を構造の内部にまで取り込んでいるものがある。川崎の立体は内部で光を充実させ、工業製品のように閉じられた構造体になっている点において、外部に向かって存在を主張したり空間を展開させたりするタイプの彫刻とは在り方を異にする。むしろLEDや蛍光灯のコードから展示室の光を吸い取り、外部のエネルギーを自らの養分に変換しているような印象さえ与えるものである。
作家のステイトメントによれば、制作の手順は細部の部品や見え方を想像するところからはじまり、その要素に規則性を持たせて連続させたり結合させたりすることでかたちが決まっていくのだという。決められた単位を反復することや工業製品との外見上の類似は、ミニマル・アートのそれと共通点が指摘できるように思えるが、展示空間や「見る」ことの制度によって文脈を支えられていたミニマルと違って(それゆえにフリードに「演劇的(シアトリカル)」と批判されたミニマルと違って)、川崎の立体は物理的な次元で光というメディウムの質を多彩に組み換え、その差異を読み取ろうとする者に没入型の鑑賞を促すものである。
近寄って見てみればよく分かるだろう。立体の表面に施されたレゴブロックのような突起を通して内部を見ると、光は乱反射してより複雑な表情に変化する。内部が空洞の樹脂には水が充たされ、光に有機的な質感を与えている。一見無機質な立体が、実は豊穣な光を宿しているのである。今回の展示ではその繊細なつくりがより際立つものとなっていた。
パソコンやデジタルカメラ、携帯電話などの液晶画面、あるいは夜の高層ビルの灯りにある種のノスタルジーを呼び覚まさせられる都市生活者の心性は、おそらく川崎の立体作品が滲ませる「無機質」で「有機的」な光に同化しやすい。しかしそれは同時に、志向すべき普遍的な光を持たない現代の人間の意識の闇が、川崎の作品を見ることによって相対的に浮かび上がらせられているということなのかもしれない。
光というメディウムの、意味と質の組み換え操作。それはいわば、感情を持たない詩である。即物的な手つきでありながら、単なる知覚の戯れでは終わらない表現に興味を惹かれた。(中島水緒)
ギャラリー21+葉 (2007年7月2日?7月11日)
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