2007年09月17日
森村泰昌 美の教室、静聴せよ
曖昧な記憶に基づく記述で申し訳ない。でも確か森村泰昌は以前テレビのインタビュー(おそらく1990年にNHK教育で放映された「近未来写真術」)でこんな趣旨のことを言っていた。
「あなたの作品のオリジナリティはどこにあるのか?」というインタビュアーの問いに対して、
「名画の中に入り込むという行為自体にはオリジナリティはない。また作品に用いる小道具類なども、特別な技術がなくても一生懸命作れば案外誰でも作れるものだ。ただ同じことをAさんという人とBさんという人Cさんという人が行った場合、最終的には違ったものが三つ出来る。それはセットを作ったり写真を撮影したりというそれぞれの過程の隙間隙間に、そのひと独自のものが入り込むからである。自分の作品のオリジナリティはそうした隙間にこそあると思う。」
さすがに17年以上も前に一度見たきりのテレビ番組の朧な記憶を基に論を進めるのは乱暴にもほどがある。引用文献としての信頼度はゼロだ。しかしこの発言は、森村泰昌という作家の本質を理解する重要なキーとして当時の自分には強烈にインプットされた。
当時はまさにシミュレーショニズム全盛の時代、オリジナルとコピーをめぐる議論も盛んだった。当然森村の作品もそのような文脈の上において語られ、評価する側も否定する側も問題にするのは常に「名画に入り込む行為」ばかりだった。しかし「名画に入り込む」という行為にも、「オリジナル/コピー」をめぐる知的遊戯にもマッタク関心の持てなかった自分にとって、森村の作品は「どこに面白さを見出せばよいかワカラナイもの」でしかなかった。
そんな自分が森村の作品の魅力に開眼し、のめり込むようになったのは代表作である「美術史シリーズ」ではなく「仏像と宇宙人」をテーマにした「ART OF ARTS MAN AMONG MEN」(ギャラリーNWハウス 1990)からだった。「名画に入り込む」という意味深な行為から解き放たれたこの作品は、「名画に入り込むという行為自体にはオリジナリティはない」という作者の言葉をまさに裏付けるものとして受け取ることが出来た。この作品自体が当時既に「名画に入り込む作家」としてアイデンティファイされつつあった森村の、自身の代表作に対する自身による明確な批評/解釈だとして捉えることも可能だろう。
「名画に入り込む」という行為自体、それはお笑い芸人の行うあんまり面白くない「ネタ」とさほど違いはない。その同じネタを森村が行うと「面白いアート」になり、お笑い芸人が行うと「あんまり面白くないコント」になる。その差はいったい何に由来するのか? その問いに対する回答が、おそらく先に挙げた「制作過程の隙間隙間に入り込む個人差にこそ自分の作品のオリジナリティはある」という発言なのだろう。
つまり「ネタ」自体は別に「アート」でもなんでもないのである。しかしお笑い芸人が行うと「つまらないコント」にしかならないであろうその同じネタを、森村が小道具やセットを用意し、メイクを施し、自身の肉体を使って演技して、写真を撮影するというその過程の「隙間隙間に入り込む森村独自のもの」によって、はじめてそれは「アート作品になる」のだ。
ある意味「名画に入り込むという行為」は、森村にとって「表現を可能にするための下地」として機能していると言ってもよい。「ART OF ARTS MAN AMONG MEN」では「名画に入り込む」という括りを外していた分、「美術史シリーズ」にも共通する「隙間隙間に織り込まれる森村のオリジナリティ」が見えやすくなっていたのだ。
「名画に入り込む」といういくらでも理由付けが可能な意味深な行為は、知的遊戯の対象になりやすい。人はとかくコトバで説明出来てアタマで理解可能なワカリヤスイものを好む。「名画に入り込む」という行為を「オリジナル/コピー」という観点で論じるのは、それこそオリジナルの作品を見なくても可能なくらい容易く、そしてワカリヤスイ。しかしその地点「だけ」に留まってしまうと、森村の言う「オリジナリティ」は見えなくなってしまう。先の森村の発言は、自身の作品に対する一面的な捉え方に対する回答とも受け取ることが出来る。
ところがマイケル・ジャクソンとマドンナをモチーフにした「サイコボーグ」(ザ・ギンザ・アートスペース 1994)あたりを境にして、「なる」ということの持つ意味がこの作家において変節していく。つづく国内における待望の美術館での初個展「レンブラントの部屋」(原美術館 1994)では、「こんなにも巧みに自分はレンブラントの絵に入り込める」という「名画に入り込む行為自体がアイデンティティになった作家の姿」ばかりが目に留まり、愕然とさせられた。
そして横浜美術館における最初の個展(1996)で発表された「女優シリーズ」あたりから森村は「私は何にでもなれる」といった趣旨の発言を始める。女優に「なる」ことに関連してセクシュアリティの問題が言及されるなど「なる」ことが作家としてのアイデンティティとして完全に主設定されたのは、おそらくこの頃だろう。
以降「なる」作家として、森村はその活躍の場を拡げていく。それは結果的に美術界という限定されたフィールドを越えて森村泰昌という表現者の名を広めることにも繋がった。また制作過程の隙間に生じる無意識的なものではなく、作家が思考し選択したものを作家のアイデンティティとしてより明確に押し出していく戦略は、森村が世界市場に(つまり西洋美術の文脈に)進出するに当たっても有効に機能したのではないかと推察される。
技法的な面から解析すれば、「変節」の兆しは名画に入り込む手法としてCG合成が用いられるようになった地点に既に見て取ることが出来る。小道具やセットを手作りし、それを写真に撮影することによって「名画」に見せかけるという手法では、手作業によるアナログな要素と写真というメディアの特性から制作過程の「隙間隙間」に「作者の無意識のオリジナリティ」が織り込まれる度合いは大きい。つまり同じことをAさんとBさんとCさんが行ったとしても、最終的に出来上がる完成作の「誤差」は大きくなるのだ。森村の「ゴッホ」が優れている点はオリジナルのゴッホの絵画との差異にこそある。ゴッホに「なる」という行為にではなく、その「差異」にこそ森村の「オリジナル」はあったはずなのだ。
しかしそれに対してデジタル加工は「目的」のための手段にしかなり得ない。つまり「隙間隙間」に織り込まれる個人差が生じにくい。初期の「セザンヌの林檎」ではCG合成もまだ名画に入り込むための一手段としてその他の作業とさして変わらぬヒエラルキーにあるように感じられるが、「レンブラント」シリーズになると、それは手作業で生じた「誤差」を見えなくするための最終手段として活用されている。手法はいかに巧みに名画に入り込むかという目的のみに隷属した手段に成り下がり、「隙間」に生じる夾雑物は消し去られ、「個人差」はモリムラの顔だけに留められる。
初期の作品の魅力が明らかに写真というメディアに依拠していたのに対し、デジタル加工の主手法化とともに「写真であること」の重要度は薄らいでいき、「サイコボーグ」「レンブラント」以降の作品では最終的に出来上がる写真という「モノ」よりも、「なる」という行為のほうに作者が作品の中心をシフトさせていると見てよい。
「なる」というワカリヤスイ行為を作家としてのアイデンティティとして前面に打ち出し、「誤差」を「自分の顔」だけに集中させるという戦略は、自身をアイコンへと昇華させようという試みであると捉えることができる。自身をポップ・アイコン化したモリムラにとっての「オリジナリティ」は、制作過程の隙間で無意識に生まれる個人差では最早なく、「自分の顔」だ。「もう何にでもなれる」という発言は、「もう何になっても自分の顔さえ写っていればオリジナル作品として成立する」という意味に読み替えることも可能だろう。そして結果的に森村は自身をポップ・アイコン化したからこそ、美術界のスターとなり、その名を一般に広めるまで至ったのである。おそらく「変節」は作者の意図的な戦略に基づく選択であり、そしてそれは成功したと言える。
しかし作者が頭で考えた理屈や戦略よりも無意識の底から「勝手に出てしまうもの」のほうに、あるいは作者の行為の「意味」よりも作者が最終的に作り出した「モノ」のほうに断然興味を引かれる自分にとっては、ポップ・アイコン化した以降の森村の作品は、かつてのような興味の対象にはなり得なかった。例えば最近のシリーズである「フリーダ・カーロ」や「ゴヤ」は一見初期の作風に戻ったかのような印象も与えるが、やはり手法の熟練(マンネリ化)と「ポップ・アイコンモリムラ」の顔が、「隙間隙間に生じる個人差」を消し去っているように感じる。つまりオリジナルの名画との「誤差」は、作者が理論に基づいて導き出した意図的なもの以外には見出せなくなっているのだ。 それは単純に作品が含有する情報量や解釈の多様性が限定されていることを意味している。
さて前置きが長くなったが、1996年の「美に至る病?女優になった私」展以来11年ぶりとなる横浜美術館での二度目の森村泰昌展「美の教室、静聴せよ」を、先日会期終了間近になってようやく見てきた。
前回の展覧会では当時の新作「女優シリーズ」だけで会場が埋め尽くされていたが、今回は「美術史シリーズ」の主要作品がほぼ制作年順に展示されており、回顧展的な趣もある。
この展覧会の特色は「美術史の授業」をテーマに会場が「教室」仕立てになっており、鑑賞者が音声ガイドで森村の「授業」を聞きながら作品を見て廻るという趣向にある。有料の音声ガイドは今やどの展覧会場でもお目にかかる代物だが、この展覧会においてはいわば作品の一部であり、観覧者全員に無料で、否応なく貸し出される。
モリムラ先生の「授業」とは、オリジナルの名画とその作者に対する解説であるのと同時に、森村の「なる」ことへの説明でもある。鑑賞者は「美術の歴史」を学ぶのと同時に、「なる」美術家モリムラの歴史も辿ることができる。
歴史とは得てして後代からの視点によって「作られる」ものである。「ゴッホ」「マネ」「セザンヌ」「ベラスケス」といった初期の傑作も、モリムラ先生の「授業」を聞きながら鑑賞すると、本来作品が含有していた「隙間隙間に生じる誤差」が見事に消し去られ、「なる」ことをアイデンティティとした美術家モリムラの「美術史」に組み込まれてしまう。「ゴッホ」の自画像の帽子のトゲトゲを釘を使って表現したのは、ゴッホ自身が自らを磔刑にかけられたキリストに擬えていたという解釈だ、といった説明は興を引くが、やはり作者の意図した文脈のなかで本来作品が持っていた多様な解釈の可能性は失われてしまっている。
解釈の可能性を限定された状態で、各部屋10分ずつモリムラ先生の長い「授業」を聞くのは正直辛い。もしかしたらこの退屈感も「授業」を表現するための意図的な演出なのかもしれないが、個々の作品をリアルタイムで見てきた人間にとっては、なにやらアヤシゲな「史観」を展開されているような感もあり、落ち着かない。
しかし6時限目まで続く長い授業が終了したあと、「放課後:ミシマ・ルーム」と題された最後の展示室において様相は一変する。この部屋では三島由紀夫に扮した森村のパフォーマンスを撮影した最新作が展示されている。
興味深いのは、それが三島由紀夫という題材のせいなのか、あるいは森村自身の意図したものなのかわからないが、三島由紀夫に「なる」ことが必ずしもこの作品においては「目的化」されていないことである。むしろそれは「手段」であり、初期の作品が持っていた構造のように「表現を可能にするための下地」として機能している。
現にこの作品においては「隙間隙間に生じる個人的な誤差」が大きい。三島由紀夫になり切ろうとする人間は他にもいるだろうし、もっと上手になり切れる人間もたくさんいるだろうと「映像を見ている最中に」思う。さらに森村自身もこの作品においては「ポップ・アイコンモリムラ」に充分になり切れていないように思える。写真ではなくビデオというメディアのせいだろうか、ところどころに「地顔」が透けて見えてしまっているのだ。つまりそこには「三島由紀夫」とだけではなく「森村泰昌」との誤差も生じている。
しかしそれだからこそ、この7分ほどの映像作品を見終わったあとには、「三島由紀夫になること」よりも、純粋に森村の全身を使った「叫び」が胸に残る。それは「次代へ受け継がれるべき日本の美術についてのメッセージ」といった題目通りのものではなく、「今ここで俺は体を張って戦っている!」という森村自身の雄叫びのように自分には聞こえた。言うなれば今日のアートシーンの在り方への異議申し立てをする演説の内容すらも、この「叫び」を可能にするための「下地」となっているのだ。
「美術史シリーズ」ではないことと、今回出品される作品のなかでは唯一の動画作品であることを差し引いても、この作品の本展覧会における「位置」は特異である。むしろこの「放課後」に辿り着く為に、過去の自分の作品をすべてダシにしてまで、森村はこの展覧会を大掛かりな「教室」仕立てにしたのではないだろうか?
前回1996年の「美に至る病?女優になった私」展が「なる」芸術家として「ポップ・アイコン化」への軽やかなステップだったとすれば、もしかしたら今回の展覧会は「ポップ・アイコン化した自分」をも踏み台にして「次」へと進もうとする森村の大胆な試みだったのかもしれない。(水野 亮)
「森村泰昌?美の教室、静聴せよ」
横浜美術館(2007年7月17日?9月17日)
http://www.yaf.or.jp/yma/exhibition/2007/special/02_morimura/index.html