中島 智(武蔵野美術大学/芸術人類学)
-目次-
序 一輪の野花を見立てるということ
1章 〈近代〉に仕組まれた非合理性
2章 再-魔術的芸術の視座
3章 society・外部・〈動物化〉
4章 情報化社会における〈欲望〉
5章 シミュラークルの次元
結び Inner-formationの風景
2章 再-魔術的芸術の視座
ではここで、再魔術化という趣向をもった一つの展覧会を例に、かつてはプリミティヴと呼ばれた民族造形がその後どのような変化(換言)を被ってきたのかという点について述べておくことにしよう。モチーフとして用いるのは2006年に森美術館で開催された「アフリカ・リミックス 多様化するアフリカの現代美術」である。
企画者の一人であるシモン・ンジャミは、「私たちは同時代性(現代性)がアフリカのものであったとしても、一つのグローバルな(全体的な)定義では十分ではないということを常に学んできた。同時代性は必ず、各個人のフィルターを通るのだ。それは、他者の認識としてあらわれる」と述べ、一つのグローバルな同時代性というフレーミングでは捉えることの不可能な現実を看取している。だからこそ、それはグローバルに並列されるべきなのだが、これまでの(人類学以外における)グローバルという表象が相変わらず近代主義的な都市型原理の普遍化というコンテクストから脱していない状況なのである。
だがンジャミもまた、ここでアフリカ都市型の、もしくは西欧美術にインスパイアされたアーティストたちを俯瞰しながら、彼らがアフリカ社会においてマイノリティにすぎないことを指摘し、その点において「同時代性(現代性)についていえば、ときにその同時代性は孤児になってしまう」ことを憂慮する。つまり、ンジャミのいう同時代性とは、西欧型の同時代性を観念的に共有しうる〈近代化〉されたアフリカ人だけに適用されているものであって、彼自身がその有効性を疑った「一つのグローバルな定義」からいまだ出るものではないのである。こうした点はこの展覧会で取り上げたアーティストたちの〈人選〉およびその作家の〈どの〉作品を選択するかといった基準にも明らかに現れている。すなわち、その選択眼のもつ脱(再)魔術性と、それによって選択された作品群が〈類〉として担わされる脱(再)魔術化である。
ではこの展覧会のどこが再魔術的なのであろうか。実はこうした同時代性パラダイムに囚われながらも、ンジャミのヴィジョンにおいては都市型の同時代性とは異なる「集合的同時代性」なるものが求められているのである。すなわち彼は、「さまざまな同時代性」の存在を認めた上で、「集合的同時代性」を従来の「選ばれた同時代性」から区別し、「私としては、長い間後者だけを気にかけていたことを告白せねばならない」と自省している。では、彼のいう「集合的同時代性」について見ておくことにしよう。
「集合的同時代性(現代性)は、アフリカのすべてのレベルの社会を横断する日常的な事象である。それは都会風でも田舎風でもなく、先祖から受け継いだ遺伝的な創作の必要性を満たすものである。その美学は主題と同様に、特別な通過儀礼を要求する。集合的同時代性はまた社会的である。それはしばしば、ある文化に深く根ざしている。もちろん、集合的同時代性は、その文化から変形をこうむることもあり、そうした変形は、純粋主義者たちからは裏切り同様の行為であると受け止められるかもしれない。にもかかわらず集合的同時代性は、なんらかの環境を考慮に入れずに既成の規則を覆すという点においては革新的である。集合的同時代性の源泉は宗教、日常生活か伝統にある。そして私たちは、それは存在すること以外には何も求められていないとはっきりいえるだろう。アーティストたちを美術館やギャラリー探しに駆り立てている国際的な市場原理は、この創造とは関係がない。たとえ実際に、別の創造物といっしょに展示されているのを見受けることが次第に多くなってきたとしても、である。」【註1】
ここでンジャミの言う「集合的同時代性」とは、ほとんど基層性に近い概念であることが分る。本来、グローバルなものとは「都会風」の「選ばれた同時代性」のローカリティとは異なるものである。それは都会にも田舎にも均しく存在する欲動のダイナミズムなのである。そしてそれは「必ず、各個人のフィルターを通る」のだ。ここで注意しなければならないのは、「社会」という概念はその概念的成り立ちにおいてローカルなものだということである。これに対して「個人」は実体としてつねにリージョナルな基層性に触れながらダイナミックに存在しているがゆえに、そのローカリティを超脱する。こうした働きが分らないのがンジャミの言う「純粋主義者」なのである。それは現地民のことではなく、多くは「アフリカ文化」なるものを概念化(対象化)した研究者や観光客なのである。彼らは〈異文化〉や〈伝統〉の生きた変容を一種の崩壊と看做す場合がしばしばなのである。
「アフリカ・リミックス」において、ンジャミたちはとりあえずこの変容に対して柔軟な態度をとっているわけだが、そこで「革新」を起こしている当事者たち、すなわち各個人の精神過程には踏み込む術をもっていない。それはンジャミが、西欧的個人主義というものが「政治的」な「選ばれた同時代性の産物」であることに気付いていながらも、やはり「集合的同時代性」における個人を、そのパラダイムから見た社会的反映もしくは伝統宗教への隷属としてしか位置付けえないという理由によるものだ。
結局のところ、それらは「他者」の不在に負っているものだ。これこそが「一つのグローバルな基準」=「選ばれた同時代性」を普遍化していく近代という病だった。こうしてみてくるとンジャミがそのパラダイムの中から「失われた楽園は存在しない」と洩らさざるを得なかった唐突さに対して、一つの解釈を与えることができるであろう。前章でアドルノを引用して述べたように、「失われた楽園」という観念は「目的-手段」関係が生み出す合理性にとっては外部的であるがゆえに「存在しない」とされなければならなかったものである。「失われた楽園」は、「目的-手段」関係からは関与不可能な「目的の目的」としての《幸福》と対をなす、合理主義以前の《幸福》の残存と看做すことも可能かもしれないのである。つまり、それは「目的の目的」がいつのまにか「基本の基本」に転位するような、すなわち生命体が生きていることによって持続的かつ基層的に感受しつづけてきたような無意識的な恍惚の、症状として現れたイメージなのかもしれないのである。それは前稿の、「蛇信仰」を否定することの「蛇信仰」とも相似的な構造をもつ。要するに、この「存在しない」という表明そのものが、裏腹に神話的思考のネガティヴな残存を表わしているのである。
「この惑星にはもはや、それに属しているアーティストたちを、彼ら独特で特別な状態に親しく帰らせる場所はない。と同時に、彼らの理解を超えた全体に属していることを感じさせる。その全体とは、彼らアーティストもその一部ではあるが、何から作られたのかを理解できない、そんな全体である。」
ところが、この全体、あるいは同時代性に、彼が透かし見るのは結局のところ「歴史」なのである。つまり、アフリカ人たちの「理解を超えた全体」を把握するために、彼がここで想定するのは「選ばれた同時代性」、都市型の不可逆なる時間(空間)なのだ。こうしていつまでも平行線は続く。この埋められない構造は、ちょうどフィールドワークを回避もしくは失敗した人類学者たちが「もはやロマンチックな異文化体験も秘儀参入(開眼)の物語も失われた」といった一般化に落ち着く構造に似ている。
それは、「ロマンは失われた」と表明することで、あらかじめ彼らが他者なきロマンを持ってフィールドに赴き、ロマンチックな他者との出会いに失敗したということを表しているにすぎないのである。それは他者なき、表象としての他者をフレーミングする〈理解〉であり、ジェームズ・クリフォードやトリン・T・ミンハにもこの傾向は認められる。フィールドワークというのは、これとは対照的な〈理解〉を与えるものだ。すなわち、他者によって自己変容がなされた結果、これまでその人が生きてきたフレーム(文化コンテクスト)から超脱を起こすような〈理解〉である。これは既にお気付きの通り、ベイトソンが述べた「学習Ⅲ」過程と相似的なものだ。となれば、このシモン・ンジャミの理解もまた、自己投企のない理解、他者なき「学習Ⅱ」においてなされた思惟(ループ)と考えることができるものであろう。
「『私たちは貧しい。わたしたちはもはや、たのしむことはできない。私たちはそれを忘れてしまったのだ、私たちの手はブリコラージュを忘れてしまったのだ』(エルンスト・ブロッホ『ユートピアの精神』)。アフリカのアーティストたちは、彼らが経験している状態、実験している状態、または危険を負っている状態にあるという意味では、いまだにブリコラージュを行っている。おそらくこのブリコラージュを通して、ようやく私たちは、理解しなかったとしても、ともかくもどうにか深く感じることができるだろう。私たちがいまだに仕方なく、アフリカの現代美術と呼んでいるものを。」
ここに現れているのはまさに、「失われた楽園」としてのアフリカである。確かに、〈仕方なくアフリカの現代美術と呼ぶ〉感覚は正しい。「アフリカ美術」と呼んでしまうことで失われてしまうのは、アフリカ独自の文化コンテクストであり、その多様性である。そこまでは正しいのだが、西欧美術の「貧しさ」に対してアフリカのそれが豊かであるとか、いまだ貧しさへ固定化されていない段階として相対化されうるものではない。それは近代化論、「単系発展説」の変奏にすぎない。
また、すでに述べたようにブリコラージュやポリフォニーの時間が、西欧地域において全く失われてしまったわけではない。それはコンテクストの病によってたんに見えにくくなっているだけなのである。それは「都会」の近代化されたアフリカ人や「田舎」のアフリカ人が共に(だが異なる理由によって)自らをアフリカ人だと考えていないような問題に一応の理解を示しつつも、同時に、リージョナルな浸透においてではなく、西欧的アイデンティティのために、再びロマンチックな「アフリカ」へ押し戻す策定操作を行なうことに他ならず、それによって「ブリコラージュを忘れた」貧しさの上に築いた近代の豊かさを後ろ手で撫でる仕草にすぎない。異文化に対して「失われた楽園」を重ね見る構造にはそうした捻転した自文化評価しかなく、それが自文化の基層に出る(脱-現代美術の)ための契機となることはほとんどないのである。
この展覧会で共同企画者を勤めたジャン=ユベール・マルタンはかつてポンピドゥー・センターで「大地の魔術師」展の代表キュレーターを勤めた人物であるが、彼もまた「市場で知られるための努力をせず、そのための戦略を打たないアーティストに興味を持つべきではないだろうか」と述べ、現状のキュレーターのあり方を批判している。すなわち、それを妨げているのはキュレーターが抱えている「短絡的な見方」であるとし、これに反対する二つの議論として文化人類学と視覚文化論を挙げているのである。
「まず人類学は、各文化に特有の思想の体系の複雑性を詳細に論証し、多くの問題は文化の属する環境によってもたらされていることを前提に考察してきた(レヴィ=ストロース)。一方美術の理論では、視覚的な世界の中に思想が存在することを前提としており(アーサー・ダント)、哲学と同様にその思想自体が独自の問題を解決すると考える。」【註2】
文化の基層に潜入していく人類学や、視覚のコードに独自の思想を探る美術には、文化のコンテクスト(歴史性)やアートシステム(市場性)に依って立つキュレーターとは異なる視座があるとマルタンは言う。一方でキュレーターは「成功しているアーティストの重要性を強調するか、商業的な成功を度外視する人々の考えを擁護して、自らを正当化しようとする。そして、アーティストが語らないことを理由にして、あるいは自問することを拒むことによって、『田舎の』アフリカ人画家は美術的な考えをもっていないというのである」と述べる。もとよりすべてのキュレーターがそうであるとは限らない。マルタン自身もキュレーターなのだし、人類学的視座と感性を持つキュレーターは日本にもいる【註3】。とはいえ、確かに市場原理主義と歴史主義(同時代性信仰)という権力によって自己正当化を試みるだけのキュレーターはまだ多く、またアーティストが自作品に対して多くを語らないのは美術に対する理解が浅薄なせいだと勘違いし、ゆえに代わりに解説することの根拠をそこに見い出そうとする人々さえ認められるのが現状である。
この問題については今さら触れたくもないが、アーティストたちの名誉のために少し触れておこう。先ずは自明なことだが、美術表現と言語表現とは互いに全くコードの異なる論理階型にあるものであり、それらは互いに翻訳不可能なものである。つまり、美術表現はその表現形態を通してしかコミュニケートできないものなのである。そして、作家が自作品について(アメリカは例外的文化として)多くを語りえないのは、美術作品には作家自身にとってさえ〈他者〉であるような要素、〈無意識〉的な働きが相当に含まれており、それが重要な働き(転移作用)としてあるからなのである。要するに、それを意識化(=言語化)することは必ず虚偽に陥る、あるいは別の物語の創作となる。この別の物語の創作がリアリティをもつのは定式化された物語の借用においてでしかなく、しかもその定式化とは単純化(単文脈化)のことである。ここにもアーティスト自身が語るということの剥離感覚がある。また、作品に内在される〈他者性〉のほかに、〈自明性〉による語りえなさも同時に存在する。〈自明性〉ゆえに忘却(自己化)されているものを現前化させる方法には大きく分けて二つある。一つは相手が想定されたダイアローグ的状況における自己相対化(しかし、これは不完全)であり、もう一つは世界を「見立て」るテクネーである。両者ともに言語的には「共感」となるものだが、共有されるべき記号を組み合わせることで生まれる物語と、融合において実現される作品との異質性は歴然として明らかであろう。言うなれば、それらは「主体」の創作と「実在」の示現との違いである。この問題についてはこの辺りで十分であろう。
さて、「アフリカ美術」を語るさいに問題となる点がいくつかある。例えばアフリカの仮面の場合、徒弟制による教育とクライアントたちの美意識において〈美の変遷〉が生じているので、美の絶えざる基準化を行なうヨーロッパ型の美術教育(学校制度)や美術批評などの規定システムから観た場合には、曖昧な美意識しかないと勘違されてしまうことがまま起きる。そしてこの点に先のマルタンが述べた「アーティストが語らないことを理由にして、‥美術的考えを生み出す能力をもっていない」と判断してしまう過ちが生じ、さらには「アフリカ美術」を、もしくは「アフリカ美術の〈美〉」を評価(発見)しえたのはヨーロッパ人であるといった倒錯さえ生じさせてしまうわけである(こうした倒錯は「アートマネジメントがなければアートはない」等々、至るところで見受けられる)。ともあれ、こうした実作者(当事者)たちを度外視した〈発見〉の物語もまたフレーミングの惰性的な自己増殖にすぎないものなのだ。
近代主義は、徒弟制や職人世界を応用芸術のボーダーに追いやり、異文化の芸術をその地域名や部族名の下に匿名化してきた。いわゆる博物館「資料」という観点がそうだった。そしてこれらに美を見い出してきた美術家たちについては周知の話である。そうやって再び「資料」は芸術文化に取り込まれ、美術館での展示企画も活発になってくる。しかしながら、いまだに誤解されつづけているのは民族芸術の作家性と匿名性に対するイメージである。
私が取材したアフリカ・セヌフォ族では彫刻家は有名人である。人々は仮面や彫像のスタイルを見ただけでそれが誰によって制作されたものかを言い当て、また記憶されているものなのである。同様のことは日本でも刀鍛冶、陶工、鋳物師、仏像彫刻など、広く職人世界に認められているものだが、作家性というものをファイン・アートの枠組みから見る場合には見逃されてしまいやすい事実なのである。また、アフリカの彫刻家はたんに伝統の奴隷なのではない。徒弟制のことをご存知の方ならすぐ理解できることだが、そこには学校教育では育まれない主体性と個性が許容されると同時に、強力に求められてもいる。しかもアフリカの彫刻家の場合にはその地域社会から独自の位置付けと一定の特権が許されている。こうした諸条件によってアフリカの造形は極めて個性的かつ創造的なのであり、伝統的な仮面においては百年前のものと現在のものとでは(そのアウラを受け取るまで)同じ部族の造形として同定することを途惑わせる場合さえ多々生じるのである。
実際は、作家性も個性も弱く、古典主義的なあり様をしているのは、むしろツーリスト・アートの方である。その理由は、単純に言えば伝統が生きられていない点にあるわけだが、それは観光客の眼力にかなった模造品が制作されているからであり、その眼力を裏付けているものとしてのヨーロッパなどの博物館が所蔵する「民族学資料」の図版が模倣されるからなのである。要するに、アフリカという〈他者〉に出会わないヨーロッパ人たちは、自らがフレーミングした「アフリカ美術」を収集して帰っていくというわけなのである。
マルタンは、「今日、ヨーロッパではいまだ狭く限られたものでしかない現代美術の幅を広げるチャンスがある」という期待を、この「アフリカ美術」展に寄せて述べているのだが、これは先のンジャミと同様に「現代美術」がいまだ「選ばれた同時代性(現代性)」でしかないことの再認であろう。しかし、この限定的合理性のコンテクストから出る方法は両者ともにいまだ具体化されてはいない様子なのである。すなわち、このロマンを外部に求める構造そのものが脱魔術化というコンテクスト内部から表明される「再魔術化」と近接したものであり、その閉じたループがこの企画展においては都市型の「アフリカ美術」を収集・展示するというかたちで現れてしまっているというわけなのである。
【註1】シモン・ンジャミ「混沌と変容」『アフリカ・リミックス』森美術館(2006)
【註2】ジャン=ユベール・マルタン「アフリカ美術の受容」(同上カタログ)
【註3】先日、住友文彦氏とも美術研究における文化人類学および精神分析学の重要性について同意したばかりだ。